鷺谷政明の埼玉県外

人と被らない会話の小ネタ

矢沢永吉さんの言葉に説得力はないと感じた理由

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いわゆる矢沢世代ではないし、矢沢ファンってわけでもないけど、矢沢永吉さんがテレビに出てれば必ず見る。

過去では「HEYHEYHEY」「うたばん!」「みなさんのおかげでした」少し遡ると「アリよさらば」。

深夜にYouTubeでNHKで若者と対談してる動画を見たり。イチローと対談してる動画も見たり。

甲本ヒロト、マーシー、氷室京介が駆けつけた還暦イベントも何回も見た。

永ちゃんの真似はできない

日本人で、音楽好きで、ロックが好きなら、矢沢永吉に関心がないという人はまずいないと思う。

矢沢永吉さんの言葉には重みがある。ずしんと響く。

小難しいことは言わない。ストレートに言う。

ただ最近こう思う。

今の矢沢永吉さんの言葉には、もはや説得力がない次元に到達してしまったような気がする。

少なくとも今の矢沢永吉さんと同じ時代を生きてる者として、矢沢永吉さんが今放つ言葉というのは、エジソンとか、アインシュタインとか、そういう歴史上の偉人の言葉のような重みがある。

まさに生きる伝説だ。

例えば、もし私が

「矢沢永吉さんもこう言ってたんだ。だから俺もやってやるぜ」

と言っても、「それは永ちゃんだからできたんであって、お前じゃ無理だろう」、と思うのではないか。

例えばあなたに息子がいて、その息子が矢沢永吉さんに感化され、俺も永ちゃんのようにミュージシャンを目指すと言ったらどうだろうか。

「俺ミュージシャンになる」

「無理だよ。永ちゃんは単身広島から上京したんだぞ。そんな根性あるのか」

「ある。だから全部捨てて東京に行く」

「いやちょっと待て。しかもあの人は途中感覚的に横浜で降りてそこから始めてのし上がるような男だぞ」

「俺もする。だから東京とは決めてない。自分の心に従って、そこで降りて、そこで一から始める」

あなたの息子がこんなことを言い出したらどう止めるか。最終的に、あれは永ちゃんだからやれたんだ、になるのではないか。

どこかその存在感はイチローのそれと似ていて、それを逆手に取った「イチローが嫌いだ」というCMはすごく良かった。

「勘です」で通る

この記事ももちろん見たが、ここで矢沢さんが言ってるのは真実だと思う。

本当に勘なんだと思う。

blogos.com

 でもこの勘は当たると思うし、時代はこうなっていくと思う。

なんでそうなると思うかって?

それは俺の勘だよ。

…って言っても説得力ないだろう。

とにかくこの人はきっとこうしてスター特有の嗅覚で時代を切り開いてきたんだと思う。

「なぜ電子化に?」

「矢沢の勘です」

昔、ドラマなんかでよく「刑事の勘だ」という言葉があった。

でも昨今はドラマでさえ出てこない。

むしろ「まさか刑事の勘とでも言うんじゃないだろうな」と、時代錯誤を揶揄するような表現で使われる。

でもこの勘というのは存在すると思う。

その人にしか見えないビジョンだ。

そしてそれは誰にも説明できない。

ただ矢沢永吉さんには「俺の勘だ」といって説得させられるバックボーンがある。

もうそれは言葉ではない。理屈ではない。

つまり言語を超越して人を説得させられる力がある。

徹頭徹尾かっこいい。男なら一度は憧れる。

同じようには無理だけど、あのマインドは少しでも見習いたい。