悪質タックル問題に関する、日大会見。
内田正人前監督と井上奨コーチが5月23日、都内で約2時間の緊急会見を開いた。
被害選手の父がFacebookに投稿
会見で、内田前監督と井上コーチは、重要なところに関しては、「覚えがない」「言っていない」というものだった。
これを受け、被害選手の父親である奥野康俊さんは、自身のFacebookで以下のようなコメントを投稿し、現在話題になっている。
昨日の内田前監督、井上コーチの会見を受け5/6の試合以来初めてアップします。
お願いがあります。
前監督は一切の関与を否定。これでは宮川君が、可哀想でなりません。酷すぎます。
親の立場で我が息子と重ねると宮川君は、加害者ではありますが、指導者2人に対して、体の震えが止まりません。以下お願いです。
前内田監督が悪質なタックルシーンを試合中見てなかったと会見で述べられました。
試合中のビデオ、動画、写真を撮っていた観客の皆さん、前内田監督が見ているシーン、顔の向きがわかるシーンなんでも結構です。そのデータを頂きたいのですがよろしくお願いします。
私は、この事件に息子と、アメフト、アメフトを愛する両大学の子どもたちの為、日本のスポーツ界の信頼回復の為全てを捧げる所存です。
すでに、市議会維新代表にも伝えております。私の記者会見前に決断していたことですが、任期満了を持って大阪市議会議員にピリオドをうち、次の選挙では立候補いたしません。
残りの人生をかけ真剣に、とことん、この問題に向き合う覚悟です。ご協力お願いいたします。
これでは、宮川くんが可哀想すぎます。
被害届、告訴も含めて内田前監督、井上コーチの2人だけの名前では受理できないと警察から回答を頂いております。そこで、
宮川君の減刑、と内田前監督、井上コーチに対する厳重処分の嘆願書も出そうと思います。フォームはまた、アップいたします。最後になりましたが、息子は大丈夫です。たくさんの激励のメールありがとうございます。奥野 康俊さんFacebookより引用
日大広報部 米倉久邦氏の発言
この会見では、司会を務めていた日大広報部の米倉久邦氏が、記者と揉めるといったやり取りが繰り広げられた。
「(質問の長い記者に対して)やめてください。やめてください!次にマイク渡して!みんな質問したいのだから!」
「質問をやめないなら記者会見を打ち切りますよ!」
「あなたは黙ってください!」
「記者会見、これで21時30分すぎたので終わります。みんなやるのですか?何十人もやるのですか?いつまでかかるかわかりませんよ。」
「同じ質問なのでもう打ち切ります。これ以上やっていてもきりがないです。」
「(「違う質問をします」と言う記者に対して)違うのを言えばいいものではありません。」
「全員から聞けないですよ、もう十分に聞きました。」
さらに報道陣から「会見はみんな見てますよ」と諫めると
「見てても、見てなくてもいいんです!」
「(「司会者のあなたの発言で日大のブランドが落ちてしまうかもしれませんよ」と抗議に)「落ちません!」。
日大広報部といえば、加害選手の会見後、とんでもないFAXをマスコミに送ってきたところである。
これはつまり、
「宮川くんは、コーチの言葉を間違えて解釈しちゃったみたいだね。コミュニケーション不足でした。ごめんね。おしまい」
というもの。
会見者より強い司会者
この日大広報部の話しぶりを見て、ネット上では「彼は日大を内部から崩壊させようとしているのでは?」なんて飛び交う始末。
つまりそれくらい、ありえない言動だったということ。
この会見を見ていて思うは、この広報部、どうやら内田監督より立場が強そうである。
監督が話そうとしても平気で静止する。少なくとも司会者の立場で、会見している人を止めるなんて行為はありえない。
例えば結婚式で、新郎がなにか話そうとしているところで、司会者が「あ、ちょっと今喋らないで」と静止することがあるだろうか。
組織の闇がもたらす自浄作用
この会見がなければ、広報部の人間がこんな考えだとは誰も思わなかったはず。
いよいよ日大の闇が見えてきた。
しかし、この米倉久邦という男もまた、黒幕ではない。
彼がここまで記者に噛みつくのも、なにものかに指示されてそこに来ているからだ。
そしてこれもまた、自分の意思なのか、誰かからの指示なのか、誰かを忖度しての自分の意思なのか、わからないが。
いつの世も黒幕は表には出てこない。だから黒幕なのだ。
【内田監督→蛭間 / 井上コーチ→海老名】日大の闇はドクターXに重ねると合点がいく
これはどこの大学でも似たことはあるはず。企業でもなんでも、多くの人間が関わる組織には、必ずこういった闇の部分がある。
日大はさまざまな歪みが重なりすぎて、今回こういった形で表に出てきた。
日大がもたらした自浄作用なのかもしれないが、その犠牲となった選手や生徒たちはたまったものではない。
また、少し俯瞰で見たとき、森友問題の扱いが小さくなりつつあることも、いっぽうでまた、忘れてはいけない。