電車に乗っている。
座席が空いていたので座った。
ほどなくして目の前にご老人が立った。
荷物も持っているし重そうだ。
さて、この時どうするだろうか。
座席を譲るのが親切か
スッと立ち上がって「どうぞ」と譲るべきだろう。
しかし。
中には「いえ、大丈夫です」というご老人もいらっしゃる。
というか、最近、断る人のほうが多い気もする。
確かに昨今の高齢者は元気だ。少なくとも60代を老人と称してはダメそうだ。
もちろん、相手が妊婦さんや怪我人であるなら問答無用で譲るべきだろう。
しかし、「見た目から察するに、高齢者だな」というだけで、病気をしているわけでも身体が不自由なわけでもない相手に、「どうぞ」と席を譲るのが、必ずしも「親切」という二文字に直結しないケースがある。
断る、ということは、極端に言えば「老人扱いして、失礼な…」と、相手を不快にしてしまいかねないということだ。
ではどうすべきか。
座席の譲り方
私が実践している座席の譲り方は、次の駅に着く頃に、席を立ち上がる、というもの。
つまり、自分は次でもう降りるから、もう席を立ったと。
それなら、座席を譲った、ということにはならないから、座る座らないは、ご老人が判断できる。
肝心の自分はどうするか。
実際は、その駅は自分の目的地ではないので、本当に降りるわけにはいかない。
しかし、本当に降りてしまう。
そして、すぐさまその電車の違う位置から乗り込むのだ。
これであれば誰も傷つけず、親切を実践できる。
「親切なことをした」ということは、本来誰かに知ってもらう必要はない。
人知れずやればいいことなのだ。
しかし。
この方法の唯一の欠点は、次の駅に到達するまでが遠い場合、結構な間、そのご老人を立たせたままにしてしまうことになる。
お釣りが1円足りない時言うべきか
スーパーに行く。
欲しいものを手に取りレジに向かう。ずいぶん混んでいる。店員も大変そうだ。
自分の番が来て、会計を済ます。
「203円のお返しです。ありがとうございました」
買ったものを持って、袋に入れる。受け取った小銭を確認してみると、202円だった。
1円足りない。
この時、「あの、1円足りませんけど」とあなたは言いに行くだろうか。
レジは行列だ。
そこで「1円足りませんけど」と言いに行こうものなら、レジのデータを確認するところから始めるかもしれない。そうすると、そのレジはいったんストップするかもしれない。
「1円くらい、いいや」とその場を立ち去る。
しかしもしかしたら、その1円の誤差で、レジにいた店員さんは閉店作業後、怒られるかもしれない。
銀行では、1円ずれるだけで、全員帰れなくなることもあるという。
スーパーは銀行ではないが、それが10円だったら。100円だったら。
親切とは
親切という言葉の由来は、「切実に(とても)親しくする」ということ。
どうすることが相手にとって一番親しむかは、一概には言えない。
その時、その場所、その状況、そして、時代によっても変化するから、結局は、自分の中で、これがベストかな、と思う方法を選択するしかない。
例えば、レジになにか言いに行く時にしても、自分の見た目がサングラスに髭でスキンヘッドで、完全にそっち系の服装をしていたら、なにか言いに行くだけで、相手にものすごい威圧感と恐怖感を与えるだろうから、相当な笑顔が必要だ。
その笑顔さえも、やりすぎるとさらに怖くなるから大変だ。