鷺谷政明の埼玉県外

人と被らない会話の小ネタ

全てのブロガーはGoogleに愛されるための図書館となり尖ったものは消えた

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インターネットから尖ったものが減ってきたのは、Googleの検索アルゴリズムにある。

Google検索システムの精度は高く、欲しい情報を最短で、確実に導き出してくれる。

しかし欲しい情報を導き出してくれるからこそ、自分の想像を超えるものには辿り着けなくなった

情報は取るものに

例えばヤフーニュースにしても、自分の見たい、気になる見出しのニュースしかクリックはしないし、表示させるジャンルさえも取捨選択できる。

すると必然的に、自分が求めるものしか情報は入ってこなくなる

新聞の利点はそこにあって、新聞は、自分の関心度に関わらず主要ニュースをいっぺんに見せてくる

それが結果、受け取る情報の偏りをなくしていたのだ。

コンテンツ=図書館

インターネットは、検索する人と、その情報を提供する人の2極化で成り立っている。

Googleアドセンスをはじめ、ネット収益の仕組みが整ってからは、ネットで発信するほとんどの人がその情報提供側に回り、Googleに愛される均一化されたフォーマットで、均一化な文章で、どこも似た内容に変わった。

全ての情報発信者は、Googleに愛されるための図書館になった

今ネットで高いアクセスを誇るほとんどが、お役立ち系なのはそのためである。

つまり検索需要にいかに答えられるかがネット発信の根幹になったため、そこに「個」は必要ないのである。

YouTubeもテレビも

多くのYouTuberたちが、なにかの解説をしていることでわかるように、YouTubeも同様である。

これもGoogleが運営しているものである必然的にそうなる。

これはテレビの流れを見ても同様。

歌番組やコント番組など、なにかを見せる、見てもらうといったコンテンツよりも、池上彰さんの解説や、林先生の解説の番組のほうが数字を稼ぐ。

健康、医療、美容、グルメ。

バラエティ番組という言葉よりも、情報バラエティという類のもののほうが多いのではないかと思う。

インターネットは当時テレビでは知り得ないものを知れるところであったが、今やテレビとインターネットの距離が悪い意味で似通ってきてしまった。

かといって同化することは絶対ないので、ここからまたなにか、新しい動きが起こると思っている。