鷺谷政明の埼玉県外

人と被らない会話の小ネタ

「自分が死んでも代わりは山ほどいる」という気づきから得るもの

f:id:sagitani_m:20180603232232j:plain

エヴァンゲリオン、綾波レイのセリフ「私が死んでも代わりはいるもの」のセリフの通り、ほとんどの職業は、死んでも代わりはいる。

親子以外は代用できる

唯一代わりが効かないのは血縁関係がある家族だけではないだろうか。

総理大臣だって代わりはいるし、芸能人の代わりもいる。

もちろん、その人という存在そのものの代わりはいないが、総理大臣という役職を担える人はいる。

むしろ、その人が死んでしまったら終わりです、という状況があること自体がまずいので、政府も会社組織も、そういった体制を基本的には取る。

芸能人や歌手など、まさにその人自身の代わりはいないが、しかし、有名歌手がなくなったからといって、音楽産業が消えるということはないし、有名タレントがなくなったからといって、テレビに出る人がいなくなるわけではない。

スポーツ選手にしても、作家にしても、どんな偉人であっても、その人がいなくなったらもちろん悲しいけど、それでも社会は続いていくし、世界は動き続ける。

自分が死んでも

「辞める」「死ぬ」ということを、なにかのあてつけに考える人がいる。

せめて自分が辞めることで、死ぬことで、相手にダメージを与えてやろうという思考法だ。

ものすごく気持ちはわかるし、自分自身も似た心境になったこともあるが、それをしても、残念ながら、代わりはいるのだ。

いなけりゃいないで、適応するのが、この人間社会だ。

図々しくていい

自分が辞めても、死んでも、至って平穏に明日も地球が回っていくと考えると、そっちのほうが頭に来ないだろうか。

であれば、もっと図々しくなっていいはずである。

向こうに、「お願いだから、辞めてくれ」「お願いだから、どっか行ってくれ」と思わせるくらいまで、図々しくてもいい

日本人はとても謙虚だ。わびさびがあって、輪を重んじ、繊細だ。

しかし、それが行き過ぎると、半ば「いじけ」にも似た独りよがりの感情を抱き、辞める、死ぬ、といった選択を時にする。

きっと誰もあなたの苦しみを理解できない。

だから、これだけ辛かったんだ、と相手にわからせるために、辞める、死ぬ、といった選択をする。

しかしそれをしても、相手は全部は理解できない。

そしてそのまま明日も明後日も地球は回る。

だからその選択をする前に、ちょっとくらい図々しくなってみてもいい。

きっと、辞める、死ぬ、といった選択を考える人は、真面目で優しくて、賢い人だと思う。賢い、というのは、「いろんなことまで物事が見えてしまう」という意味で。

だから少しバカになってみるといいんだと思う。

真面目で優しくて賢い人も山ほどいる。

ということは同時に、バカで図々しいやつも山ほどいる。

ちょっとくらい、あなたがバカで図々しくなってみても、地球は許してくれるだろう。