インターネット上で「好きです」と言われたら嬉しい。
私はきっと嬉々として喜ぶだろう。
ネットでシネと言われたその後
同様に、「シネ」「アホ」などと罵倒されたら落ち込むだろう。
テレビによく出てた頃、そういった類の文言はネットを介して散々受け取った。
ご丁寧に2chでスレッドまで立っていた。
ただ当時自分のTwitterはまだ屋号のアカウントで、今のように個人名ではなかったし、ほとんど運用もなにもしてなかったのでTwitterに来ることはなかった。
ただ、去年から個人名でTwitterを始めてからは、ご丁寧にTwitterを見つけ文句を言いにくる人もいる。
「誰かに文句を言いにいくためだけにTwitter使ってる可愛そうな人、結構いるんだよ」と、とあるインフルエンサーが言っていたが、確かにそのようである。
そして私は傷つき、落ち込む。
しかし、それ以上には至らない。
なぜか。
「友達」は何人いるか
あなたに友達は何人いるだろうか。
辛い時に会ってくれる友は何人いるだろう。
自分には、残念ながら人には自慢できるほどの数はいない。
小学校、中学校、高校の友人、全部引っくるめて、15人くらいだろうか。20人には満たないだろう。
高校を卒業し今日に至るまで、仲間はたくさんできた。戦友、仲間、パートナー。
日本語というのは便利であり、複雑である。
様々な形容に値する人が私には多くいる。
しかし、「友」と呼べるのは、少中高を共にした、この15人程度の人間だけである。
そしてこの「友」は、今後増えることはないだろう。
屈強な精神安定剤
しかしこの20人に満たない「友」は私の精神安定剤である。
仮に世界中の人間が自分の敵と化しても、おそらくこの15人は私の味方をしてくれると確信できる。実際はどうだか分からないが。
しかしその友も、明らかに私が間違っていれば批判するだろう。しかし、私が間違っていなければ、この15人は世界が敵と化しても味方してくれるだろう。
私も同様である。この15人の誰かが世界中を敵に回しても、私がその人間を信用できれば、私はそいつの味方をするだろう。全てを捧げても。
ちなみに、この文に書かれているような気持ちの悪い話を、ここでいう「友」と交わしたことは一度もない。
確認を取ったこともない。しかし、私はその所存だ。
彼らの心の内は分からない。私が一方的にそう思っているだけかもしれない。私の勘違いかもしれない。確証はない。
自分が友と思えればそれでいい
今この文を読んでいるあなたは20代だろうか。30代だろうか。分からない。
もし10代なら。
今時間を友にしている人を大事にして欲しい。
今後ネットでどれだけ批判されても、会社でどれだけ嫌われても、今後何があっても、その人はあなたの味方をするだろう。
大事なのは、実際そうなったとき、どうなるか、ではなく、あなたがそう思えるかどうかだ。
そう思えるなら、その「友」はあなたの味方なのだ。
結局、自分以外の人の心の内は分からない。その人にならない限り。
例えば私の友も、中には私が大嫌いな人もいるかもしれない。「本当」のことなんか分かりはしない。
結局は、自分がどう思えるかである。
この15人は私の味方だ。
そして、私はこの15人一人一人の味方だ。彼らに何かがあったら私は何を捨ててでも駆けつける。
彼らは迷惑かもしれない。それは単に私のエゴかもしれない。
それでも私はKY然としてかけつける。この世に15人にしかいない私の友だからだ。
この15人はお金では買えない。今後私が億万長者になってお金持ちになって10億積んでも買うことはできない。
ヤフオクでも価格コムでもGoogleでどれだけググっても、買うことはできない。
twitterのフォロワーは多いほうがいい。いいね!もたくさんもらえるといい。
そしてこの攻略法は、ググれば山程出てくる。私も実践したいし、ぜひたくさん欲しい。今はフォロワーを、お金を払うことで買うこともできるようだ。
しかし、10代の友は買うことができない。
10代の友だけは切るな
10代と共に過ごした友はそれくらい貴重だ。
もちろん、10代を独りで過ごす人もいるだろう。
たまたま、会わない学校に行ってしまい、友ができないこともあるだろう。
しかし、友は学校のみにあらず。塾も全てではない。それこそネットでもいい。何でもいい。10代を共に過ごした友を切るな。
ダサイ友でもいい。ダサイグループでもいい。
その仲間にいると自分もダサイと思われるなら、世間的には避けていてもいい。
10代なんてそんなものだ。
分けてもいい。区別していい。
ただし友を軽蔑するな。選別するな。
10代の時に共に過ごす相手が大事なのだ。
友は10人もいれば十分だ。
100人も1000人もいらない。10人いればいい。
10代の時にできた友を絶対に裏切ってはいけない。
女を裏切るだろう。仲間を裏切るだろう。会社を裏切るだろう。自分さえも裏切るだろう。
しかし10代の友だけは裏切るな。
そうるすと、ネット上の炎上なんかたいしたことではない。
世間の風当たりもたいしたことではない。
会社での風当たりもたいしたことではない。
だから私は、罰当たりな人生を歩んできても、毎日楽しかったし、これからも期待でワクワクだ。
毎日が楽しみでしかたがない。
こんなやつは嫌だろう。消えて欲しいだろう。
しかし私は消えない。
ごくわずかな私の友が、私を守るからだ。だから私は簡単には消えない。
私の友も消させない。
それは私のエゴである。一方的なはた迷惑な愛である。
億でも買えない究極の資産は、すぐ側にある。
どんな投資を始めるにしても、一番価値のある資産を運用できない人間がなにをやっても、うまくはいかない。