再び凄惨な事件が起きた。
見るに耐えない悪質タックル、同じ人とは思えない幼児虐待事件、そして新幹線で無差別殺人。
真面目な若者
先日風呂屋に行ったとき、脱衣所で小学4年生くらいの男の子と棚が隣になって、「すいません」と礼をしながら入ってきたので、「あ、どーぞ」と私は少し身を引いて、男の子に場を譲った。
すると「ありがとうございます」と言った。
その口ぶり、動きは、まるで小学生のそれではない。もはや社会人であった。
なんとしっかりした小学生なんだと感心した。
ほどなくして今度は中学二年生くらいの男の子が掃除をしているおばちゃんに話しかけていた。
「あの、お仕事中すいません、ちょっと忘れ物をしてしまって…」
「んー、この辺は見たけどなかったわねえ。カバンの中全部ちゃんと見た?結構あったりするのよ」
「全部見たんですけどね…(笑)ありがとうございました」
「あと、フロントにも一応聞いてみてね」
「はい。ありがとうございます」
これまた礼儀正しい中学生だ。
なんてできた子だ。
こういう子たちは決してニュースには出てこない。取り上げられない。
「昨夜未明、埼玉県の銭湯で、小学生の男の子が非常に礼儀正しく…」なんてニュースにしない。
取り上げる意味
ニュースに出てくるのは新幹線で刃物を振り回す若者だ。
そもそもこれだけ凄惨な事件を取り上げる意味はどれくらいあるのだろうか。たまに疑問に思う。
視聴率以外で、こういった事件をメディアが取り上げるべき理由があるとすれば、それはのちに出る判決を大きく出すとことではなかろうか。
できるだけ厳しいその処罰を。
それをせずしてただ取り上げていると、いつかのように、類似犯が現れる。
俺もそうしようと、あの犯人は俺と同じだ、俺も同じようにと自分を投影させ、挙げ句の果にはその犯人を教祖のように捉えるものも、ごく一部だが出てきたりもする。
そんな甘くない、それだけのことをした以上は、それと同等、いや、それ以上の罰をもって罪を償ってもらうぞという、法治国家なめんなというところを見せてほしい。
あの幼児虐待の犯人の処罰はどうなるのか。以前不起訴だったことも今後問題視されるだろう。
日本の刑罰は軽すぎるとよく言われるが、そのもっと前の主張、その犯人が今後どうなったというところをきっちり報道して初めてその議論ができるのだ。
あの5歳女児を死なせた父親の刑は。無差別殺人をした犯人の刑は。
死刑ならない限り、刑務所でしっかり罪を償えば、彼たちは社会に戻ってくる。
我々と同じような生活を送る。
性犯罪者は再犯率が高いから、その後の動きもGPSで監視せよという意見もあるくらいだが、まずはどういった判決になったかをきっちり伝えてほしい。
そこに迫ることで、犯行の背景も見えてくるかもしれない。