「炎天下で連投させるわ、強制的に坊主だわ、このご時世に兵士養成プログラムを引きずっている悪しき風習であり、主催している新聞社ファーストの大会だ」
橋下徹さんは甲子園に対し、こんな意見を展開されています。
橋下徹さんの甲子園への考え
甲子園はこれまで徹底的に球児の青春物語を中心とする「きれいごと」ばかりを強調してきた。最近大きな話題になった、日本大学のアメフトタックル事件や、女子レスリング日本代表のパワハラ事件の問題の根っこも、結局高校野球の甲子園大会にあるように思えてならない。
昨今問題になっている問題も、甲子園が根源ではないかと。
高校野球の歴史を調べると、戦時中の軍事教練が、その練習方針や精神面に大きな影響を与えていることは事実だった。朝日新聞がもっとも嫌う、旧日本軍の軍事教練が、高校野球の部活動の根本にあることがわかり、そこから僕は学校スポーツの問題、もっといえば日本スポーツの問題の根源が、甲子園にあると考えるようになった。
全員坊主というのは、確かに軍事教練の名残な気はする。
穿った見方をすれば、夏の甲子園(選手権大会)と春の甲子園(選抜大会)という二つの大会を1年の間に無理やり行うために、真夏の間に選手権大会を完結させているとしか思えない。まさに夏は朝日新聞、春は毎日新聞の権利を守ることであって、これは朝日新聞ファースト、毎日新聞ファーストになっている。
なんで春夏あるのかなあと思ってたけど、なるほど、こういうことか。
橋下徹さんの考えについて
間違ったことは何一つ言っていないと思うし、ロジックも通っている。
合理的に考えると、今の風習はおかしいところが多く、確かに時代錯誤な気がする。
甲子園は大衆の心をつかんだ
ただし。
もし、坊主じゃなくてもいいことになったら。
秋、冬だったら。ドームで開催していたら。
合理性を重視し、全てを柔軟に変容させてきていたら、今日のような人気を100年も保っていなかったのではないか。ここまでファンがつかなかったのではないか。
良し悪しはもちろんあるけど、相撲にしたって、時代錯誤な取り決めは多い。
特に協会のありかたなどは、相撲、ボクシング、そして高野連も、改善すべきところはたくさんあると思うけど、(大衆が目にする)内容に関しては、変えずにきたことが成功に繋がっている点も多々あるとは思う。
オリンピックもワールドカップも
基本的にスポーツイベント、いや、世のほとんどのイベントが、ビジネスで運営されている。オリンピックもワールドカップも。
確かに甲子園は美化されやすいし、その裏で朝日新聞社の狙い云々を考えると、今の体制はおかしいのではないか、と思う点は出てくる。橋下徹さんが仰ってるように、選手の身体はもっと考えてあげるべきだと思う。
しかし、見る人ががっかりするようなイベント内容であれば、この大会自体が成立しない。
見る人がいなければ広告にならない。それだとビジネスにならない。すると運営ができない。
甲子園は洗脳か
甲子園(高校野球)の不合理点な挙げればいくつもあると思うけど、見る人々を感動させてきたことは事実である。
これを、洗脳と取るかどうかはすごく難しいところ。
「全都道府県代表の高校球児たちが夏の甲子園で対決する」というフォーマットを考えたもの勝ちという気がする。企画勝ち。
あとは特別なにか演出しなくても、ドラマはいくらでも勝手に生まれる。
ただ、やはり時代の変遷と共に、現代にマッチしていないところは変えていかないといけないと思う。
そして、橋下徹さんのように、こういった気づきをさせてくれる自由闊達な意見を言ってくれる人がいてくれるのも、いいことだと思う。
だからこそ我々は、世間一般的に「そういうものだ」とされているものに対しても、疑問符を持つことができる。