爆笑問題の太田光さんが村上春樹嫌いを公言する気持ちはなんとなくわかる。
村上春樹の世界観はいつもシャレていて、なにかとバーでナッツをつまむし、朝はチーズトーストとコーヒーだし、出てくる女はみんな知性的でセクシーで、終始クラシックとジャズが流れている。
そんな世界ねーよ的な印象をもつ人は多いと思う。松本人志さんがジブリ映画を嫌うそれと似ているような。
(以下ネタバレを含みます)
徹底して読み手側に立つ村上春樹作品
村上春樹作品は、もっと文学的で難しい作品だと思っていた。大江健三郎的な。
初めて読んだのが『1Q84』だったんだけど、それで一気にそのイメージは覆された。
とにかくおもしろい。次が気になって読むのを止められなくなる。
ここまで行ったらやめようと思いながらやってしまうRPG、次見たら寝ようと思って夜通し見てしまう海外ドラマのように、とにかくおもしろい。
読み手のことを徹底的に考えて作られた、わかりやすく、読みやすく、ただただおもしろい。この作品もそうだった。
ありえない結末をどう取るか
例えば2時間の映画の評価をするときに、1時間50分めちゃくちゃ面白くて、最後の10分がめちゃくちゃつまらなかったとき、どう評価すべきか。
鑑賞時間のほとんどは楽しませてもらった。つまらなかったのはわずか10分だけ。でもそれが終わりの10分だからなんとも言えない読後感になる。
この作品もそう。終わる直前までおもしろいが続いて、そのまま最後、結局何もわからず終わってしまう。
1時間59分おもしろくて、最後の1分がつまらない、いや、全部面白いのに、続きがないというか。
ものすごいおもしろいドラマの最終回だけないような。推理もののサスペンス作品の解決編だけないような。
最後の最後は読み手側のモヤモヤとか一切無視して投げっぱなしジャーマンで終わる。でもここまで楽しかったんだからいいだろう、と言われると文句は言いにくい。
ものすごい好きな人と大恋愛をして、最後の最後でフラれるような。
なぜこうなった
これは意図的にやったんだろうか。ハルキストならわかるのかな。
腹を空かした奴に、ものすごいおいしい料理を作るところから全部見せて、目の前に出して、でも食べちゃダメ、っていう、あえておもしろがってそういう実験的で意地悪な手法をやってみたんだろうか。
シロはなぜそんな嘘をついたのか、誰に殺されたのか、灰田はどうなったのか、それらは村上春樹さんの中に回答はあったのだろうか。
その回答がめちゃくちゃおもしろかったら、やっぱり書くんじゃないだろうか。作家なら、「どう?」って見せたいんじゃないだろうか。
個人的には、答えは初めからなかったんじゃないかと思う。それよりも、いったいこれはなんだ?なにがあったんだ?という脈絡だけを描きたかったんではないだろうか。
仮にそうであったとしても、やはりそんなことできるのは、村上春樹さんしかいないのかもしれない。
なんだかスッキリはしないけど、でも読んでいるほとんどの時間は楽しめた。
ただ、展開がおもしろすぎて、寝る前の読書にはあまり向かない。