1978年の4月1日に、村上春樹さんは小説を書こうと思ったという。
村上春樹作品はこんな感じ
そんなにたくさん読んだわけじゃないけど、村上春樹さんの作品は、言うならばこんな感じだ。
絶世の美女がいる。顔もスタイルもわかりやすい美女だ。甘い誘惑に誘われついていく。ホテルに入る。部屋に入る。二人きりになる。女は服を脱ぎだす。
吸い付けられるように身体に触れると、女の身体は落ち葉に包まれ消える。
あれ?
背後から女の笑い声が聞こえる。振り向くと別の美女がいる。そしていきなりぶん殴られる。気を失う。
気づくと自宅のベッドで寝ていた。あれは夢だったか。しかし顔にあざがあり、ポケットには落ち葉が入っていた。
もう一つ付け加えるなら、射精をしていて「やれやれ」とつぶやく。
解決しないのに取り込まれる
村上春樹さんは、物語を読ませる小説家というより、表現したいなにかがあって、それを表現するために物語を創作しているような印象を受ける。
だからストーリーとしてスッキリしなくてもいい。解決しなくてもいい。
つまり小説家というよりは芸術家。画家でも陶芸家でも作詞家になっても成功していたような気がする。
第3部で急変
物語は第1部~2部までは普通に読めるが、3部から突然入り乱れてくる。
所々入ってくる笠原メイの手紙。正直読んでて段々うっとうしくなってくる。
週刊誌の記事もそうだし、間宮中尉も長い手紙よこしてくるし。
第2部後半の間宮中尉の話も長い。すごい内容だけど、でも長い。お前もうちょっと要約して語れよと思ってしまう。
謎だらけ
クミコの謎
結局、クミコはなにをされた?書かれている事実だけを見ると、とんでもない異常性欲者だったことしか分からない。しかもそれも綿谷ノボルのせいだ、という。姉もなにをされた?
電話の女はクミコ?
電話の女はクミコだったってことでOK??
第2部の終わりで、亨がそれに気付いたところはおもしろかったなあ。
本来は第2部までで完結の予定だったというけど、確かにそこで終わっていても良かったかもしれない。3部でこれだけなにも解決しないなら、2部で終わりでも正直良かった。
加納姉妹はなんなの?
加納マルタとクレタも何者なんだ。
のちに日本では叶姉妹というのが出てくるけど、まさか彼女たちはここから取ったのではあるまいな。
岡田亨は特殊能力者になった?
亨は途中からいきなり変になったけど、なにをしてた?
青いあざのパワーで人の病気かなんかを治せる特殊能力が備わったから、ナツメグに雇われた?
そもそもあの井戸はなんだ。そこから離脱できるんか。それに気付いたから、その井戸がある土地を買いたくなったのか?
取っ散らかして解決もしないのに面白い
これだけむちゃくちゃにしておいて、何もわからないまま終わるのに、なぜか惹かれてしまうところがすごい。
むちゃくちゃにすることは容易だ。しかし、それで惹きつけることは相当難しい。
それはやはり、伝えたい、描きたい核となる部分が脈々と根幹にあるからなんだと思う。
『ねじまき鳥クロニクル』は、間違いなく亨とクミコの話だけど、見せたいのは間違いなく、二人のストーリーではないんだと思う。
そうであれば、あんなぼやけた顛末で終わらせないはず。
確かに、読み終わったあと、「なんだこれ!」「なにもわからないままかよ!」「意味不明!」ともなるけど、他の村上春樹作品にまた手を伸ばす自分が確実にいる。
それはやはり、この作家に強く惹かれるからであり、この作品に感銘を受けたからに他ならない。