取材や番組などで「若い世代へ一言」と聞かれると、基本、どうふざけて答えるかという思考回路になる。
理由は「特にない」からである。
でも「特にない」とは言えないから、なにかその都度思いついたことを適宜話す。
上か下かは年じゃなく中身
私は基本的に、年上には全員敬語である。よほど懇意な相手をのぞいては。
ただ、表面上ではそうやって敬っておきながらも、心では敬っていないという場合も正直、ないことはない。
ふん、年はてめえのほうが上だが、中身では俺のほうが勝っているなと。
ということは、年下の人間が私をそう捉える可能性も十分あるということになる。
なので、自分より年が下だからといって、自分のほうが上であるという認識が基本的にないのだ。
人の判断基準は自分にある
私は、おもしろいかおもしろくないかで、人を判断する。生まれも国籍も金も地位も関係ない。
金持ちだけで、会社名だけで、身分だけで、容姿だけで、そして年齢だけでふんぞり返ってるやつは世の中にごまんといるけど、関係ない。
だから学生時代から、不良グループにも真面目グループにも友人がいた。
イケてるグループ、イケてないグループとかよく言うけど、イケてるかイケてないかは俺が決める。なんで周りが決めた評価に俺が左右されないといけないのだ。付き合うかどうかは自分で決める。
だって、テレビでも映画でも、自分で見て、自分でおもしろいかおもしろくないか決めるでしょ。決めるっていうか、自分が感じたことが全てでしょうに。
外聞的な立ち回りにおいては当然加味するけど、表面的なことはきっかけにはなっても、最終的な判断材料に入らない。
マナーは大事
平場で、初対面で、「ウェーイ」というやつはもちろん嫌いだ。
これはモラルやマナーの問題であり、年齢や中身が上とか下とか以前の話である。
だから目上の人間に敬意を払うというのは、自分の通念だ。古い考えかもしれないが。
例えそれが建前や表面上であったとしても、必要なことだと思っている。
ただ、心の奥でどう思うかは個人の自由。
その人になにかを教えるのか、教わるかは、年齢では判別しにくい。
教えない理由
だから年齢がどうであれ、全員がライバルであり競合のわけで、彼らからどう盗むかということは考えても、どう教えるかというのはあんまり考えたことがない。
でも、「こいつ、ここをこうすればめちゃくちゃ良くなるだろうなあ」というのは、すぐに気づく。
ただ、それを本人に伝えることは決してしない。
それは意地悪で教えないんではなくて、少なくとも自分が若い時分、年上から何を言われても、まるで聞く耳を持たなかったからだ。
おっさんは引っ込んでろ。黙って消え去れこのクソ野郎と実に好戦的だったので、おかげで年上の知り合いが全くいない人生になってしまった。
男より女のほうが大人の理由
「いつの世も、男は子どもで、女は大人」という定説は正しいように思う。
女が大人なのは、若い頃から年上の男と付き合っているからだ。
例えば30歳の男は、20歳の女を恋愛対象として余裕で捉えるし、その幅は年々広がっている。
つまり、女から見たとき、20歳にして、30、40、50代の男と付き合っている女はたくさんいるわけで、例え自分がそうでなくても、近くにそういう女友達がいる、または、仲の良い年上の男性はいる、ということも含めれば、相当数いるだろう。
だって、こちら(女)がどうこうより、向こう(男)はこちらを恋愛対象に見てるから近づいてくるわけで。若ければ若いほど。
しかし、この逆はあまり聞かない。
男は、年上の人間と仕事以外の関係性で懇意になる存在がほとんどいないのだ。
これが、「男が子ども、女は大人」の正体である。
若いときから、大人の男を近くで山ほど見てきている女たちは必然的に精神年齢が高くなり、同世代の男が子どもに見えてしまうのだ。
学ぶ姿勢
と考えると、やっぱり年上の人間は、先に人生を生きてる分、学びが多いということになる。
それに気づいたのが30代を過ぎてからだった。そこから私は、とにかく年上の人間に執拗に話を聞く習性がついた。
相手の中身云々ではない。こちらが何を聞きたいか。何を盗むかだ。
そもそも人は、学びたいという意志さえあれば、なにからでも学べるものである。
しかし年下であっても、学べることは当然山ほどある。自分が門外漢のことなら特に。
人の意見にまるで耳を貸すことなく、ゴーイングマイウェイで生きてきた20代の反動からか、学習意欲が異常に高まった30代は、とにかく年上の人間から徹底的に引き出すことに努めた。
だから私も、年下の人間に執拗に聞かれた場合のみ、真剣に答えるようにしている。
先に気づきやがった奴
ただ、自分もそうであったように、基本若い頃は、指摘されるのを嫌うものだ。
なので「ダメ出ししてください!」なんて言ってくる若者はそういない。
それは、指摘されて折れてしまう程度の向上心しかないからで、今の自分を守りたいという自尊心が勝ってしまうのだ。
若さは強みであり、焦りもない。1億あれば無職でも焦らないだろうが、1,000円しかなければ焦るだろう。自尊心とか言ってられない。
ただ、数えられる程度に、1億あっても危機感を持てる稀有な人間も中にはいる。
興味深いのは、彼らはおもしろいくらい共通してみんな大きな結果を出しているということ。
今の自分よりも上を目指す自分の方が勝っている連中は、指摘されることに恐れがないため、向上しかしないのだ。
そのときこう思う。
こいつら、俺が30過ぎてようやく気付いたことに先に気づきやがったか、と。
その時点で負けてるなと感じる。
稀にこういう連中がいやがるもんだから、年下だから中身も下だなんて容易には決めることはできないのだ。
年上には好かれない
私は年上より、年下の知人のほうが多い。
根が、「偉そう、生意気、憮然」に見えるので、私は年上に好かれない。
ただ、学ぶべきものがたくさんあるような器の大きい人は、そんなことには動じずガンガン来るので、いいフィルターになってるとは思う。
私程度に気遅れするような相手から得られるものはさほどないからだ。妬み嫉みしてるような人間に至っては、さらに興味がない。