4月10日、この日はミヤネ屋やゴゴスマでも事前に語られていたのは、ビートたけしさんの振る舞いについてだった。
たけしさんはどう祝辞を述べられるのか。
北野武と天皇陛下
過去に陛下のお茶会などに参列された際は、「とにかく緊張した」といった旨のことをたけしさんは発言してきている。「オイラたちの世代は陛下にあったらこう(背筋がビシッと)なっちゃうよ」、と。
なので、スタジオの予想としいては、さすがにふざけないんじゃないか、といったものだった。
山中伸弥教授のあとに北野武
山中教授の挨拶のあと呼ばれたたけしさんは、深々と頭を下げ、ああ、やっぱり真面目にお話しされるんだと思うや否やいきなりマイクに額をぶつけ会場の笑いを誘い、持ってきた祝辞文を反対から読み上げ、再び笑いを誘った。
このとき誰もが思った。
これいつもの祝辞芸くるぞと。
たけちゃんこれやるぞ、と。
たけしさんの祝辞芸は、私の記憶の限りでは、林家三平さんの結婚披露宴あたりから頻繁に披露されるようになったと思う。
その祝辞はユーモアに包まれた面白いものであったが、おおむね天皇への率直な祝辞になっており、
「ずっと国民に寄り添っていただける天皇、皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に、生を受けたことを、幸せに思います。」
という言葉は心を打つものがあった。
しかし、これには普通に爆笑させられた。
たけしさんまさかの祝辞芸。マイクに額ぶつけて反対から読み始め「陛下がご覧になった映画が、不届き者二人も出したアウトレイジではないことを祈るばかりです」#北野武 #天皇陛下 pic.twitter.com/LftC40kUnm
— 埼玉ポーズ仕掛人@鷺谷政明(著書「なぜディス」発売中) (@sagitani_m) 2019年4月10日
このあたりのタイムリーなネタを放り込んでくるあたり、さすがとしか言いようがない。
また、ピエール瀧さんや新井浩文さんらのことを「不届きもの」と表現するあたりも。
犯罪者や逮捕者、といった言葉はさすがに場に相応しくない。そして、間違いなく、不届きものであるわけで。
YOSHIKI
サングラスを外し、薄めのメイクで登壇し挨拶をしたYOSHIKIさん。
少し膨よかになった印象。
久しぶりに素顔拝見したけど、YOSHIKIさんってよく整形とか言われるけど、してないっぽいよね?
だって目元なんか、「元気が出るテレビ」で見た時と同じ印象だった。
MISIA「明日へ」
MISIAを見出したプロデューサーと同行していた人と話したことがあるんだけど、福岡にすごい歌がうまい女の子がいるってことで会いに行ったら、当時は本当に九州の太った田舎者って感じで、これはちょっと…って思ったらしいんだけど、歌った瞬間ひっくり返ったって言ってたのを思い出した。
そんなMISIAの歌い出し、声が一瞬遠かったのは、エンジニアのミスだったのか、または想像以上に小さい入りからだったため、慌ててフェーダーを上げたか。
ただ、歌のトップバッターであったため、おそらくはエンジニアの読み違いだったのでは。
その辺の予測が難しいのは、この日MISIAさんは相当緊張していたようで、歌い終わったあと、武者震いにも似た動きで、瞳孔が開いているように見えた。
なんか、MステのCocco思い出した。
松任谷由実「春よこい」
着物姿で登場したユーミン。しっとりと『春よこい』を歌うその姿は、平成最後の紅白歌合戦のエンディングで表れ、桑田佳祐さんにキスをし、胸騒ぎの腰つきを披露した人にはとても見えない。
ただ、どうしてユーミンさんはこんなに声が出にくくなってしまったんだろう。
年齢を考えても、もう少し出てもおかしくないし、キーや曲調を考えても、決して出しにくい歌ではない。もしかしたら、なにかご病気を患ってらっしゃるのではないかと余計な心配をしてしまう。
それが杞憂であることを願うばかりだが、その場合はユーミンも、ディランのようなスタイルに変えてはどうか。そのときの自分にあったベストの歌い方で披露していく。もちろんメロディーは崩さず。
ゆず「栄光の架橋」
「決して平らな道ではなかった」
と歌う北川が抱えているギブソンのエレアコは、ピックガード周辺が擦り切れており、歴史を感じさせた。それはまさに、ゆず自身のことを表しているようでもあった。
J-160Eだっけあれ。
横浜のストリートから陛下即位式典会場へ。ハマリカンドリームだ。
この歌を聴くと思い出すのは、やっぱり「伸身が描く新月面の放物線は、栄光への架け橋だ」という名文句。
報道番組の謎
ゴゴスマも、番組開始から、今日は式典のことを特集していたが、中継はなかった。
生中継していたのはミヤネ屋だけ。これはなんらかの放送規制があったのだろうか。
少し遅れてゴゴスマでも模様を放送していたが、放送内容的には、生中継をするような流れだったので、なぜしないのかな、と疑問が残った。
異様な緊張感
これだけの面子がここまで緊張していたのは、やはりこれまでと全て勝手が違うからだろう。
音楽フェスや音楽番組のそれとは趣旨もスタッフも全く違うわけで、おそらく打ち合わせからリハーサルまで、まるで雰囲気が違うため、さすがの面々もかなり緊張した様子であった。
このクラスならこのホールでみんな歌ってきているに違いないが、その緊張感は見ているこちらにも伝わってくるほどだった。
事前チェックの可能性
そう考えると、ビートたけしさんのあの祝辞は、さすが演芸大魔王、世界のキタノと感じざるを得ない。
おそらく、あの祝辞は事前にチェックはあったはずだ。いくらたけしさんとは言え、あの式典で読み上げる原稿をチェックしないわけがない。
そう考えると、宮内庁もかなり容認したと考えられる。
まあ厳粛とはいえ、おめでたい席だし、壇上に陛下がいらっしゃるわけではないし、たけしだし、というところだろう。
「だって、たけしだし」というところで容認されてしまうところが、北野武という人物の歴史が培ってきた実績であり、それがこの平成30年間の賜物のようにも感じた。
日本人は本来、非好戦的で宴好きで、柔軟な民族である。
歴史ある者には寛容だが、しかし、新参者には少々厳しい。
令和という新時代では、歴史だけで善し悪しを判断するのではなく、少子高齢化が進む今こそ、未来を担う若者らにチャンスを付与していけるような寛容さを期待したい。