2019.4.5追記
やりすぎ都市伝説が好きすぎて、自らパロディー動画を作ってしまいました。
--以下本文--
昨今、AIが巻き起こすであろうイノベーションはよく語られている。
ホリエモンさん然り、落合陽一氏然り。
ただ、そのずっと前から、声を上げて言っていたのはMr.都市伝説「関暁夫」だ。
やりすぎ都市伝説の関暁夫といえば、終末思想の変な人みたいに思ってる人も多いだろうが、この人は、人類が滅亡するなんてこれまで一言も言っていない。
- 終末ビジネスが儲かる理由
- 過去と現代を繋ぎ未来へ
- 関暁夫はうさんくさい?
- 未来のことは誰もわからない
- 関暁夫の話し方がうざい?
- 落合陽一が言っていること
- 2018年5月のやりすぎ都市伝説
- 2018年5月のやりすぎ都市伝説の感想
終末ビジネスが儲かる理由
「人類は滅亡するかもよ、やばいよ」的な煽りはすごくよく儲かる。
その予言が外れても、人は喉元過ぎれば熱さを忘れるから「滅亡するって言ったじゃん!」と怒る人も少ないし、ノストラダムスに関して言えば、当人は亡くなってるし。
また、人はどこかでリセット願望があるから、滅亡に対してどこか期待感を持ってる。自分一人が死ぬのは嫌だけど、全員一緒にならまあいいかな、という。
だから「人類滅亡説」はすごく反響を得やすい。
ノストラダムスは予言というより、あれは詩だから、取り方によっていかようにもできる自在性がある。占いと同じで、誰にでも当てはまるような言い方、いわゆる「バーナム効果」が使いやすい。
それこそ取り方によっては、1999年以降の予言もたくさんあるわけで、だとすれば1999年に滅亡するなんて完全に矛盾するのに、それでも人は盲信する。
そもそも人類滅亡説なんてのは調べれば毎年誰かしら滅亡説を出してることが分かる。
今年も滅亡するし、去年も滅亡してる。
つまりノストラダムスの人類滅亡説は、結局は編集者と出版社の腕だった。もちろん、最初に見出した五島勉さんあってこそだけど。
過去と現代を繋ぎ未来へ
関暁夫氏は、「滅亡」ではなく、「新しい時代の幕開け」と話していた。
その新時代の鍵を握る人物として、ニコラ・テスラについて触れていた。
そう、今もっとも未来の鍵を握っているといわれるイーロン・マスクが代表を務めるあのテスラ・モーターズの社名の由来となった人物だ。
テスラ・モーターズとは、人類火星移住計画を提唱している会社である。
関暁夫氏が一貫して言っているのは「これから新しい時代が来るから、みなさん準備しましょうね」ということであった。
その頃から関暁夫は、AIがもたらすイノベーションをずっと語り続けていた。
関暁夫はうさんくさい?
とは言え私ももちろん、彼の言うこと全てを信じているわけではない。
さすがにこじつけすぎだろ、という話しも相当あるし、全シリーズを見ているからこそ感じる矛盾点もある。
なのでそのあたりはもちろん、エンターテイメントとして捉えている。テレビであるし、見せ方として、さまざまな演出を駆使しているのも分かる。
もう10年近く『やりすぎ都市伝説』を見てきたものとしてこの番組を分析するならば、完全明快を10だとして、彼らは取材と勉強を通し、3までを把握し、そこで得た知識と経験から2という予測をプラスして、5の地点までいく。
その5をうまくまとめ、テレビ用に3くらいにまで削ぎ落とし(おそらく事実だろうけどテレビでは言えないこと、おそらく事実だろうけど演出上ややこしくなるもの)、その3を我々に発している、というところじゃないかと思う。
未来のことは誰もわからない
そう、つまり、彼らも10全てを把握しているわけではない、という当たり前を前提として持っておかないといけない。
彼らを「10全て知っている」という見かたをするから「うさんくさい」「インチキ」と思ってしまうのだ。
未来のことが全部分かる人間なんているわけがないし、分かってたら番組制作やタレント業なんてとっくに辞めている。
かと言って、「僕らも全部分かってるわけじゃないですよ」「いや、これは僕らの予想ですよ、推測ですよ」といった前段から入ってこられたらおもしろくないから、ああいう番組の作りになっているわけで、個人的にはものすごくあの作りはうまいと感じている。
知らないことを教えてくれて、ちょっとの期待と不安を感じさせつつも、楽しませてくれる。編集力、構成力が半端じゃない。
関暁夫の話し方がうざい?
よく、関暁夫の話し方がうざい、という人がいる。
確かに彼はクセのある話し方をする。
しかし、シリーズ当初はかなり物腰柔らかい話し方だったのだ。
これが今見ると本当に味気ない。
そして番組の演出方法も、まだまだ手探り状態だった。
『やりすぎ都市伝説』は、演者と制作、互いが経験を積むことで、どんどん唯一無二の個性的な構成になっていったのだ。
世の中は、平らなものよりクセのあるものが人の目に留まるもの。
あの話し方こそが、関暁夫が関暁夫たる所以だし、『やりすぎ都市伝説』が唯一無二になった所以だ。
もともとあの番組は、『やりすぎコージー』という、今田耕司・東野幸治を中心としたお色気番組だった。
その中で単発企画でやった『芸人都市伝説』のコーナーが大人気となり、次第にお色気要素は減り、後ろにいたやりすぎガールズも消え、『やりすぎコージー』は都市伝説を語る番組に変わっていったのだ。
その立役者こそが関暁夫である。
いつの世もメディアの進化を推し進めてきた最強コンテンツである「エロ」を、「都市伝説」が上回ってしまった。
美女の裸が見たいという、男の本能的な欲求さえも越えたのが、関暁夫のあのうざさなのだ。
人によってはうざいと感じるかもしれないが、あのうざさも込みで『やりすぎ都市伝説』なのだ。
落合陽一が言っていること
落合氏が語る未来予測は、関暁夫が語るそれよりもかなり具体的な内容である。
彼は、関暁夫とイーロン・マスクの2つに分けるなら後者側の人間なので、やはり説得力が違う。自らそのテクノロジーに携わっているものとしての未来予測だからだ。
もちろん、関暁夫氏のような誇張気味の演出からくる華はないが、その分、現実味がある。
ただ少なくとも、イーロン・マスクや落合陽一氏が言うことが素直にスッと入ってくるのは、10年前から関暁夫氏がその系譜となることを発言しており、その話を傾聴していたからには違いはない。
2018年5月のやりすぎ都市伝説
番組の大ファンであるというマツコ・デラックスを迎えて放送された2018年5月の『やりすぎ都市伝説』は、特別編として構成されていた。
あの編成は予習編として前にもあったが、おそらく制作費の問題じゃないかと思う。
大勢の芸人を呼んで、ゲストを呼んで、今田耕司・東野幸治を呼んでやるいつものスタイルよりはだいぶ低予算でできるし、『すべらない話』同様、もう芸人都市伝説もネタ切れ感がある。
番組ファンからすれば関暁夫編だけで十分見れるし、番組としてもそちらのほうが低予算で済むから好都合だろう。
今後も今回のようなスタイルでいいから、もっと多くの世界を取材に回ってほしいし、回数も増やして欲しいと願う。
イーロン・マスクに取材に行けたら相当すごいと思う。
もうフリーメーソンの公認もらってるんだから、この番組ならもしかしたらあり得るんじゃないか。
でも、マイクロソフトに怒られてから企業を扱うネタはすっかり減りましたね…
まさにやりすぎた、と。
2018年5月のやりすぎ都市伝説の感想
今回の放送で番組が一番言いたかったのは、フォトンベルトやら何やらで、とにかく今後人類は地球に住めなくなると、だからAIと融合して新しいスペックを手に入れて生きていかないといけない、その始まりがマイクロチップを埋め込んだりしていくってことだと思う。
番組的に繋がるのは、マヤ文明の祖先たちはそうなったから違う次元にいったと。そして現代でまたそれが始まるのが2013年(新時代)だったと。その違う次元というのが、人間が違う形に進化(AI化)するのか、または火星など、地球外の惑星に移住するということなのか。
個人的に思うのは、フォトンベルトや氷河期が来ようと来まいと、人体にマイクロチップを入れたり、AI化させることで、莫大な富を得るものがいるということ。支配者になれるものが出てくるということ。
であれば、その者たちは何をするか。
マイクロチップを入れたり、AI化させないと生き残れない地球を作るのではないか。
もしそう考えた時、どうすればそれが実現できるか。
いきなり細菌ばら撒いたり、砲撃するなんてことはできない。
とすれば、天変地異や惑星衝突を仕立て上げるか、または戦争を引き起こすことではないか。
2013年の隕石落下はその演習だったのかも。またはHAARPか。はたまた地球を真っ二つに割るエネルギーもあるというニコラ・テスラのテスラコイルの資料がCIAによって持ち去られたというのももしかしたら…
またはあの国が一部の権力者たちによって利用されるかもしれない。
過去の戦争を見ても、必ずその裏で莫大な富を得たものがいる。
今後世界で起きる出来事は、偶然か、天変地異か、または誰かの策略か。
信じるか信じないかは、あなた次第です。