鷺谷政明の埼玉県外

人と被らない会話の小ネタ

真剣にやらないと次に行けないのはなぜか

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「新しくサイト始めたの?」

と友人に言われる。

私の名前は珍しいから、検索すればこのサイトももう出てくるようだ。

今のところ、このサイトの宣伝は一切していない。

最低でも50記事書いてから言おうと思っている。

愚痴の種類

実際、100記事くらい書いて初めて、なにが良くて、なにがダメかがある程度分かってくる。そこで初めて、サイトやってる、ブログ書いてる、と言えると思った。

ところで、「文句や愚痴を言うな」という美徳が一方であるけど、文句とか愚痴って言いかたによってはすごくおもしろい。

おもしろい愚痴と、おもしろくない愚痴には違いがある。

おもしろい愚痴は実体験に基づくもので、おもしろくない愚痴は実体験に基づかないものだ

例えばこのブログ、はてなブログの機能性とか使い勝手の悪さを列挙するとする。

その時、まだ5記事しか書いてない人と、100記事書いてる人とでは、全然見解が違うし、見る側の感じかたも違う。

でも実際は5記事も書けばある程度は分かる。ここが使いにくい、ここがダメだと。一見、的を得てるようなことも言えるだろうし、しっかりと自分の中で結論付けて言える。

でも100記事書いてる人とはやっぱり違う。

100記事書いてる人と200記事書いてる人の違いはそこまで大きくないかもしれないけど、5記事と100記事は全然違う。

なぜなら、5記事は誰でも書けるから。100記事は誰でも書けるとは言えない。

そして大事なのは、100記事書くと、5記事のときに言っていた文句や愚痴は大きく変わるということ。

5記事のときに感じていた文句や不平不満は確実にその時は自分の中で絶対的なものではあったのに、100記事書いたあとで見える世界は全然違う。

つまり、いかにそのとき小さなものしか見えてなかったかを体感する。

コンプレックス

これはどんなことでも置き換えて言える。

リスクや余力を残し片足だけ突っ込んだ状態から見えるものは、自分のコンプレックスであることが多い。

つまり、自分にとって不利なもの。苦手・嫌い・面倒なもの。

どんなものでも前のめりで全身で突っ込んでみると、自分の良くないところも全部むき出しになるため、それを外部にも見られるし、当然自分でも思い知る。

ただそれをせずして、本当の不平不満や愚痴や文句は出てこない。つまり、根本的な問題解決はしない

イメージ

ここは日常思いついた雑記系ブログだから、それこそ最低100記事くらいは書かないと形にすらならないと思うからそういう例えをしたけど、実際は数や期間でもない。

野球の練習でなにも考えず100回素振りするより、ピッチャーが誰で、塁には誰がいて、点差はこうで、何回何アウトで、天候や時刻、あらゆる場面を想定してする5回の素振りのほうが身になるという。

今はなんでも手軽にリスク少なく始められる時代になったから、自分の可能性というのは無限大に広げられる。

だからこそ、どれくらいそこに熱意を注げられるかが重要になってくる。

熱意を注いだものが実体験となって自分の身にもなるし、そこから出る文句はおもしろい。他人さえハッピーにしてしまう。

薄っぺらい実体験に基づく話しは身にもならないし、そこから出る文句もつまらない。聞かされるほうも不愉快。 

3年説

日本ではなにをするにも「3年」というのが一つの基準になっていた。

石の上にも三年
三年飛ばず鳴かず
桃栗三年柿八年

と、ことわざにもある。

ただもう3年時代は終わった。

今はかけた期間ではなく、量だと思うし、量よりも熱量だと思う。

一発屋芸人さんがなんだかんだ需要があるのもそう。期間や量はたいしたことなくても、熱量がすごかった。

一発屋と呼ばれる曲でもずっと歌い継がれる。良曲をたくさん持つ、無名でも有名でもないミュージシャンの歌よりも。

もちろん、期間で計るしかないものもあるし、量しかないものもあるとは思う。

ただ、その文句を放出する前に、その目標を諦める前に、もう少し熱量を持って取り組んでみてからでも遅くないかもしれない。

諦めるために

真剣に取り組むと、なにがダメかが明確に分かるから、潔く次のステップに行ける

なんとなく嫌で退いてしまうと、未練ばかり残り、過去を悪く引きずったまま、なかなか次にも行けない。まるで恋愛のそれと似ている。

と考えると、TOKIOの山口達也さんとか成宮寛貴はもう戻って来ないか…

確かに上岡龍太郎さんとかいくらでも戻れる余地あるのに頑として戻って来ないし、田代まさしさんのように、何度捕まっても復帰しましたってメディアに出てくる人もいる。

なにかをやり切ってないから、フラフラっとしてしまうのだろうか。ダウンタウンDXに志村けんさんと出てきたときは、さすがにもうやらないだろうと思ったけどな…

無責任さ

そういえば自分も、高校生のころやってたラーメン屋のバイト、なんとなく嫌で辞めちゃったんだけど、あれだけはずっと覚えてる。

まさに、なんか苦手、なんか嫌い、なんか面倒、で辞めちゃった。

そのわりに時給がどうとか、拘束時間がどうとか一丁前に思っていた。自分の中では一生懸命やってたつもりだったけど、今思えばたいした力にもなれてなかったような気がする。

辞めるとき店長が「もう高校生は取らないことにしました。いい勉強になったよ」って笑顔で言われたのを未だに覚えてる。

それ以降は、どんな仕事でもバイトであっても全力でやってきたし、辞めたり転職したのも悔いはないし、いい思い出しかない。だから今でも昔の職場の人間とは付き合いがある。

でもあのラーメン屋だけは未だに申し訳なく思うし、あの店長と会うってなったら正直ちょっとためらう。

高校生なんてそんなもんだと自分に言い訳をつけようと思えばいくらでもできるけど、1円でも対価をもらってちゃんとしたお店で働かせてもらってた以上は、やっぱり甘かった。